新発田市議会 2022-09-09 令和 4年 9月定例会-09月09日-02号
郷土の傑物である大倉喜八郎翁ではありますが、世に名立たる大企業や団体を設立したことや、新発田藩と深いつながりがあったこと、明治時代の様々な財界人とのつながりや中国の開発に尽力したことなど、まだまだ知られていないことが多くあることも事実であります。
郷土の傑物である大倉喜八郎翁ではありますが、世に名立たる大企業や団体を設立したことや、新発田藩と深いつながりがあったこと、明治時代の様々な財界人とのつながりや中国の開発に尽力したことなど、まだまだ知られていないことが多くあることも事実であります。
八木山宿の本陣とされる建物につきましては、旧会津藩主の巡見や、旧新発田藩、村上藩主が参勤交代の際に休憩、滞在したとされ、八木山宿の本陣・問屋としての役割を果たした旧家として、その存在は広く知られているところでございます。 ご当主が長年お一人で管理され、見学者が訪問した際には熱心に解説をされておりました。
◆1番(板垣功議員) そこで、この五十公野、米倉、赤谷地域、これやっぱり歴史的な観光でも進めていけると思うんですけども、新発田藩に関わる五十公野と加治川流域、会津街道沿いの歴史、自然資源を豊富にしている中山間集落がずっと連なっているわけです。そうすると、今五十公野バイパスができましたので、南バイパスとも連結をしていきます。
具体的には、所有する古文書としましては昨年県の指定文化財となった新発田藩資料5,848点をはじめとして、合計2万3,000点以上の資料を持っています。この中で、1月30日現在なんですが、目録としまして1万53点、画像としまして413点を公開しております。それで、今後できていないものについては、引き続き随時整理していきたいと思います。 以上です。 ○委員長(石山洋子) 宮崎文化芸術振興室長。
また、建造物を活用した例では、これも市内の小学生を対象として、新発田城内で新発田藩や城郭建造物についての紹介、名勝を活用した例では、五十公野御茶屋の見学により、こちらも市内の小学生が大名庭園について学んでおります。
現在市教育委員会が把握している大雪による文化財建造物の雪害といたしましては、国指定重要文化財である旧新発田藩足軽長屋及び国指定名勝である五十公野御茶屋庭園内の建物のいずれもかやぶき屋根の一部破損したことの2件となっております。そのほかの文化財建造物については、現在のところ被害について報告を受けておりません。 次に、市が管理する文化財(建造物)の雪害対策についてであります。
新発田は、江戸幕府の成立により入封した溝口家により幕末、廃藩置県に至るまでの270年余りにわたり、新発田藩の城下町として栄えてきました。現在も和菓子店や呉服店など茶道に関係する店舗も数多く残されていますが、しかし私たちの生活様式の変化とともに、そうした産業も確実にその規模を縮小し続けています。
新発田藩の年代記という参考文献を今見ておりますが、新発田城が築城完成してから1600年代の半ばから1800年代の半ばまでざっと数えただけでも9回ほど崩落なりやぐらの破損なりが記録されております。
新発田に残る新発田藩の文化遺産の多くが適正に管理されず、シロアリなどで朽ちようとしているとの声も聞いております。白勢長屋の再生もできてはいません。市は、貴重な建物である医師会館の建物も、最終的結論は出ておりませんが、解体する方向と聞いております。新発田市には、もっと残すべき大切な文化遺産があるのではないかと考えます。 平成28年1月に発足した新発田まち遺産の会の会報に次のような文章があります。
城下町である新発田市には、新発田城を初め、江戸末期に建てられた国の重要文化財である足軽長屋や国指定名勝の旧新発田藩下屋敷(清水谷御殿)、五十公野御茶屋など、藩主ゆかりの建物、庭園などがたくさんあります。こうした文化財に登録されている施設に今回緊急立入調査を実施されたと思いますが、消火設備、火災警報器の点検状況等をお聞かせいただきたいというものであります。
平成30年度でございますが、企画展といたしましてオープニングで新発田藩歴史資料展を行っております。その後戊辰戦争150年、明治維新と新発田と。それとあわせて豊田神社勝手山御遷座100周年記念宝物展を行っております。それから、鋪屋耕吉郷土写真展ということで行っております。その後、これは年度をまたぎますが、ハンコ・版画と印刷の歴史ということで、4つの企画展を実施しております。
ことしは明治維新から150年を迎えますが、往時、溝口半兵衛を擁する新発田藩は、戊辰戦争において裏切り者という汚名を着ても領民を戦火にさらしませんでした。多くの人命が救われ、豊かなる大地が無傷で残ったのは言うまでもありません。先人たちが武士道の誉れを捨ててまで守ろうとしたこのまちを私も全身全霊をささげ、守ってまいります。
先ほどのご指示を受けまして、私ども新潟県教育庁文化行政課のほうに国指定名勝に関することを確認をさせていただき、旧新発田藩下屋敷は、大名庭園という位置づけで国の指定名勝、記念名勝に指定されていると。この国の文化財指定区域内で建物の復元、建設を行う現状変更については、事前協議が必要であり、文化庁と相談が必要というご見解をいただいたところであります。
新発田市も歴史図書館というふうな格好でございますので、溝口家を筆頭に、千代から由緒ある新発田藩の歴史を生かしていく産業、要するに観光産業に結びつけていければなと思いました。 以上です。 ○委員長(石山洋子) 比企委員。 ◆委員(比企広正) おはようございます。うまくまとめましたね。
新発田藩溝口家の新田開発による食料増産、米沢藩の上杉家の養蚕や養鯉、アンコール王朝の水利施設整備など、すぐれたリーダーは国の繁栄の基礎を産業振興に据えています。収入イコール仕事があれば人は集まり、なくなれば去っていくのが世の常であり、金の産出が減った佐渡や石炭の重要性が落ちた夕張、近くでは赤谷鉱山の栄枯盛衰は見てのとおりです。
当時は、新発田藩の資料や縄文、弥生時代の土器、民俗資料などを展示する博物館、資料館を望む声が多くあり、教育委員会に資料館建設準備室を設け、県内外の行政機関からの情報収集や分析、アンケート調査を行う方法で、望ましい施設の形態を調査研究し、旧県知事公舎を県政・市政資料館として、文化と観光をあわせた名所にする目的で一般公開しております。
主な指定物件としては、国の重要文化財としては新発田城の表門と旧二の丸隅櫓、新発田藩足軽長屋、村尻遺跡出土品があり、そのほかには五十公野御茶屋庭園などが国指定文化財に指定されております。県指定文化財には市島邸住宅・文書、正保越後国絵図などが指定されており、市指定文化財では史跡としては加治城跡、新発田城跡、有形文化財としては陣立図屏風、新発田藩御記録、新発田藩政資料などを指定しております。
当市には新発田城表門や旧新発田藩足軽長屋などの重要文化財建造物が存在するため、城下町の面影を残す町並みの保全と活用に当たっては、その認定も視野に入れた取り組みが必要と感じています。 しかしながら、仮にこのまま歴史まちづくり法による認定が受けられたとしても、定められた計画期間中に短時間で事業を実施するやり方では、せっかくのまちづくり計画を住民に定着させることはできません。
例えば近世の溝口氏による新発田藩の成立から維新まで、1598年から1871年、273年間、そして中世の源平合戦で有名な佐々木盛綱による加地庄領有、1185年ごろの始まりから佐々木加地氏による領有の終了とされる新発田重家の戦死、1582年ごろまでの400年余り、特に新発田の中世の歴史の長さ、広がりの大きさはほとんど伝えられていないのが現状であります。
新発田藩のところでは、すっともう開城してしまって、新潟県内では長岡藩がかなりの戦いをやり、会津の会津藩がかなり戦ったり、庄内藩もそれなりの大変抵抗を示したということになっています。今後具体的にどういうふうになっていくかというのを関心を持って見ていきたいと思います。 それで、今回の補正予算の大まかな中身というのは、臨時職員に対する社会保険、それぞれ負担するということになってきました。